2009年07月02日

百周年記念事業

九州大学は2011年に創立100周年を向かえ、各種の記念行事が予定されている。主な行事に

九州大学百周年記念事業概要教育研究環境の整備充実を図る為の九州大学基金(仮称)の創
生涯学習時代に対応する社会人等の受入れ推進事業
国際交流推進事業
九州大学百年史の編纂と記念式典・シンポジウム等の開催
などがある。
スキューバダイビングに挑戦!
素肌のエクステ
ゴルフレッスンの日々
こだわりのレストランを探そう!
クラシックのグッドナイト
アロマタイムスイッチ
コスメ・メイク図鑑博士
ひまわりの天気予報
セレブな快適通販・取寄せライフ
キャンプねっと。ファミリー特集!
クリームソーダで保険比較
賢く検定・大好き
首都圏の素敵な部屋
車で行こう!道しるべ
WEBマーケティングノウハウ
フラワーパークで春夏秋冬体験講座
40歳の素敵な出会い
はじめての投資に挑戦
ウサギの人材派遣でお仕事
クロールアイドルNO1
こだわりキャンプ術
うらないカフェの秘密の部屋

九州大学の学士課程には21世紀プログラムというコースがある。専門性の高いゼネラリストの育成を掲げて2000年に設置された。各学部から1名から数名の入学定員を割り当てられ、AO入試によって学生が選抜される。また、1・2年次生の21世紀プログラムへの転籍制度もある。21世紀プログラムに入学した学生は学籍の管理上どこかの学部に所属してはいるものの、自身がどの学部に所属しているかは知らされず、21世紀プログラムの学生として扱われ学籍番号も固有のものが与えられる。必修科目が少なく、一部の科目を除いて全学部のほぼ全ての授業を受講することができる。このコースを選択した学生は大学で学ぶ内容を自主的に方向づけ決めなければならないように教育課程が設定されている。この教育プログラムは、2003年度の文部科学省特色ある大学教育支援プログラムに採択された。

2009年06月13日

スケイン三つ組を使ったコンウェイ多項式などでは

スケイン三つ組を使ったコンウェイ多項式などでは、与えられた結び目と「よく似た」結び目をいくつか用意して、それらを上手く比較してやるという考え方が用いられている。同様な考え方として、基準として自明な結び目をとり、任意の結び目と自明な結び目が何らかの意味で類似性があり、その類似性がどの程度の強度を持っているかと考えることにより、与えられた結び目がどの程度「複雑」であるかという指標を与える手段が得られる。ある結び目から自明な結び目へ類似性の連鎖によって関連付けることを、結び目を(一般には切ったり貼ったりを含んだ操作を繰り返して)「ほどく」という過程として表現して結び目解消 (unknotting) という呼称が用いられる。
河川のお話
大阪情報
欧米の美術
ことわざ集
茨城の情報
せの付く言葉
惑星のお話
香り・情報
コインの秘密
知って・マナー
泌尿器科
棚田
弓道
四国
水族館
フラメンコ
昆虫
医用生体工学
上場
バイアスロン

結び目が与えられ、その結び目に「ある決まった操作」を行うことで得られる結び目は互いによく似ていると考えるとき、似た結び目のなかには連続的に変形してより「単純な」結び目になるようなものが一般には含まれている。もしその単純な結び目が自明な結び目であったなら、最初に与えられた結び目は一段階の複雑さを持っていると考えて差し支えない(自明な結び目そのものは0段階の複雑さを持つとみなす)。似た結び目の中に自明でない結び目があればまた同じ決まった操作をしてやることで、互いによく似た無数の結び目の集まりを複雑さの階層に分けることができる。もしある操作 X がどんな結び目にでも有限回施すことによってそれを自明な結び目にすることができるならば、操作 X は結び目解消操作 (unlinking or unknotting operation) と呼ばれる。局所変形などとは異なり、一般に結び目解消操作は切ったり貼ったり、一部を取り替えたりということが許されるが、多くの場合は同じ操作を同じ部分に二度施すと元に戻るような、逆を辿れる操作が好まれる。また、向き付けられた結び目・絡み目を考えているときには、向き付けと整合的であるような操作が適している。

逆を辿ることのできる結び目解消操作 X が与えられると、任意のふたつの結び目の間に X という変換操作に関してどの程度似ているかという距離が定められる。実際、どんな結び目でも有限回 X を施してやればほどくことができるのだから、一方の結び目を解く手順を逆に辿ってやれば X によって一方を他方に変換することができる。もちろん一般には、このように一方を他方に変換する手順は一通りに限らないが、距離はこのような変換手順すべてについて、そこで行う必要のある X の回数を考え、その回数の最小値として定められる。

2009年06月09日

医師国家試験(いしこっかしけん)とは

医師国家試験(いしこっかしけん)とは、日本で行われる医師国家資格のための国家試験。医師法第9条に基づいて行われ、その規定は同じく医師法第9〜16条に定められている。大学医学部(医学科)を卒業することが受験の前提条件となっており、医学部への受験競争が激化している分、医師国家試験そのものの合格率は司法試験などの国家試験よりも高くなっている。

1946年、医師実地修練制度に基づき、第一回医師国家試験が行われる。
1985年まで春・秋年二回行われていたが春に年一回となる。
1993年より出題科目指定がなくなり、出題科目を全科とした総合問題形式となる。
2001年より出題数が550問(のち530問)9ブロック(うち50問(のち30問)は試行問題)になり、試験日程が3日間となる。
2004年までは毎年3月に行っていたが、2005年より臨床研修義務化に伴い2月に行われる。
2007年、試行問題がなくなり、出題数が500問、8ブロックの出題となる。
2008年、必修の基本的事項、医学総論、医学各論のそれぞれの領域について、一般問題と臨床実地問題(長文形式含む)が同一ブロック内で出題されるようになり、3領域×3ブロック=9ブロックでの出題となる。

医師法第11、12条の規定に基づく。
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学校教育法に基づく大学において、医学の正規の課程(医学部医学科・6年制)を修めて卒業した者。
防衛医科大学校卒業生(防衛庁設置法第19条)。
医師国家試験予備試験に合格した者で、合格した後1年以上の診療及び公衆衛生に関する実地修練を経た者。
外国の医学校を卒業し、又は外国で医師免許を得た者であって、厚生労働大臣が上記の二つと同等以上の学力及び技能を有し、かつ、適当と認定した者。
沖縄の復帰に伴う厚生省関係法令の適用の特別措置等に関する政令第17条第1項の規定により、沖縄復帰前に琉球政府の医師法(1955年立法第74号)の規定による医師免許を受けたものとみなされる者であって、厚生労働大臣が認定した者。

医師法第11、12条の規定に基づく。

学校教育法に基づく大学において、医学の正規の課程(医学部医学科・6年制)を修めて卒業した者。
防衛医科大学校卒業生(防衛庁設置法第19条)。
医師国家試験予備試験に合格した者で、合格した後1年以上の診療及び公衆衛生に関する実地修練を経た者。
外国の医学校を卒業し、又は外国で医師免許を得た者であって、厚生労働大臣が上記の二つと同等以上の学力及び技能を有し、かつ、適当と認定した者。
沖縄の復帰に伴う厚生省関係法令の適用の特別措置等に関する政令第17条第1項の規定により、沖縄復帰前に琉球政府の医師法(1955年立法第74号)の規定による医師免許を受けたものとみなされる者であって、厚生労働大臣が認定した者。

2009年04月25日

ルーム・セルジューク朝

ルーム・セルジューク朝(ルーム・セルジュークちょう、1077年 - 1308年)はセルジューク朝の地方政権として分裂して誕生しアナトリア地方を中心に支配したテュルク人の王朝。首都は、1097年以降コニヤ。「ルーム」とは「ローマ」の意味で、イスラム圏から見た東ローマ帝国領であったため当時はアナトリアの地を指す言葉として用いられた。アナトリアを拠点としたことによる。住民も大半が正教会を信仰するギリシア人だった。

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歴史
1077年 スライマーンがルーム・セルジューク朝の独立を宣言
1086年 スライマーン戦死で一時断絶
1092年 息子のクルチ・アルスラーン1世が即位し再建
1097年 第1回十字軍によって首都ニカイアを占領され、コニヤに移動。
12世紀後半 クルチ・アルスラーン2世のもと勢力を盛り返す
1176年 ミュリオケフォアロンの戦いで、皇帝マヌエル1世コムネノス率いる東ローマ帝国軍に勝利する
1192年 クルチ・アルスラーン2世が死去し、国家は分裂状態に
1211年 カイホスロー1世がニカイア帝国軍に敗れて戦死
13世紀前半 スライマーン・シャーにより再統一。その後、黄金時代へ
1243年 モンゴル帝国とのキョセ・ダグの戦いに敗北。属国化へ
1308年 マスウード2世の死去により滅亡

影響
アナトリアのトルコ、イスラム化が進み、後のオスマン帝国の土台へとなる。

歴代君主
アルスラーン・イスラーイール・イブン=セルジューク
クタルミシュ・イブン=アルスラーン・イスラーイール
スライマーン・イブン=クタルミシュ(1077年 - 1086年)
クルチ・アルスラーン1世(1092年 - 1107年)
マリク・シャー・イブン=クルチ・アルスラーン(1107年 - 1116年)
マスウード1世(1116年 - 1156年)
クルチ・アルスラーン2世(1156年 - 1192年)
カイホスロー1世(1192年 - 1196年)
スライマーン2世(1196年 - 1204年)
クルチ・アルスラーン3世(1204年 - 1205年)
カイホスロー1世(2回目、1205年 - 1210年)
カイカーウス1世(1210年 - 1220年)
カイクバード1世(1220年 - 1237年)
カイホスロー2世(1237年 - 1246年)
(1257年 - 1259年)
カイカーウス2世(1246年 - 1257年)
クルチ・アルスラーン4世(1248年 - 1265年)
カイクバード2世(1249年 - 1257年)
カイホスロー3世(1265年 - 1282年)
マスウード2世(1282年 - 1293年)
(1294年-1301年)
(1303年-1308年)滅亡
カイクバード3世(1284年)
(1293年-1294年)
(1301年-1303年)

2009年04月08日

曲想

同じチップチューンと捉えられている楽曲の間でも、その曲想は非常に多岐にわたる。それは、チップチューンというジャンル分けが、単に音色もしくは制作プロセスという面からの分類であり、曲想の観点からの細分がなされていないからである。

その例として顕著なのが、例えばアメリカ南部のルーツミュージックなどをベースにしているBud Melvinや、60'sジャズやバート・バカラックの影響を大きく受けたアレンジを再現しているYMCKなどである。

とはいえ、チップチューンにおいて主流となり易い音楽形態というものは存在する。

PC発売当時からMIDIが普及するまでの間は、アマチュアによって数多くのプリミティブな楽曲が作られている。
旧来からのゲームミュージック愛好者による同楽曲のカバー・アレンジやそれらを曲想としたオリジナル曲。
既存の著名な楽曲をあえてチップチューンカバーするケースも増えてきている。
近年はループを中心に据えたテクノ・ミュージック寄りの音楽が多い。
特に、ゲームボーイによる音楽制作ではループベースの音楽制作に特化したソフトであるNanoloopが大きな影響を持っている。

また、不正にプロテクトを外したゲームソフトを起動したときに、プロテクトをはずしたクラッカーのクレジットとメッセージ等を表示させるクラックトロ及びデモシーンのイントロというプログラムでは、プログラムの読み込み領域の余っているわずかな領域を有効利用するために、独特な音楽スタイルのチップチューンがしばしば使われている。またMODフォーマットにおいても、懐古趣味なデモシーンスタイルである"Oldschool"において、イントロで使用されるような音楽スタイルを守り続けている。このような音楽スタイルのデータはMOD Archive Top 10などのWEBサイトにて、入手可能である。

技術的観点 [編集]

音源チップ [編集]
音源チップの種類は、ゲーム機・パーソナルコンピュータの機種ごとに異なっており、それぞれ異なった機能と音色を有しているが、それらのほとんどはPSGまたはFM音源を技術のベースとし、それに独自の工夫や種々の付加機能を加えた格好となっている。

サンプリングによる波形生成も用いられることがあるが、80年代頃の音源チップに関しては、その記憶容量の制約から、楽器音のサンプルをそのまま利用するのではなく、最低限のサンプルだけを保持し、代わりに各種パラメータ(エンベロープ・LFOや音高・ベロシティなど)に応じて再生時に時系列変化(余韻・ビブラートなど)やニュアンスの変化を合成することが行われる。これは単に容量の節約というメリットの他に、曲の表情によってパラメータを細かく変えるなどでより豊かな表現力を獲得できるメリットがある。このメリットのため、こうしたパラメータを絡める方法は現在でも一般的なシンセサイザーにも用いられている。

音源チップの具体例 [編集]
チップチューンにおいて、使用されるおもな内蔵音源チップは、以下のとおりである。

アタリ400/800 - analog-digital hybrid Atari POKY
コモドール64 - MOS Technology製SID
MSX、アタリST、ZX Spectrum - ヤマハ製YM2149(SSG) General Instruments製AY-3-8910(PSG)
NEC PC-9801 - ヤマハ製YM2203(OPN) YM2608(OPNA)
シャープ X68000 - ヤマハ製YM2151(OPM) 沖電気製MSM6258
IBM PC/AT互換機 - ヤマハ製YM3812(OPL2)
任天堂ファミリーコンピュータ - リコー製2A03(pAPU)
なお、MSXにおいては、以下のようなそれぞれ独特の音色をもった拡張音源がリリースされた。

コナミ製SCC (波形メモリ音源)
ヤマハ製YM2413 (MSX-MUSIC)
ヤマハ製Y8950(OPLを拡張したもの) (MSX-AUDIO)
ヤマハ製YMF278(OPL4) (Moonsound)
ファミリーコンピュータにおいても、独自の特色を持つ拡張音源が、各ゲームのカートリッジへ内蔵する形でリリースされている。

VRC6 (コナミ)
VRC7 (コナミ)
NAMCO106/113 (ナムコ)
MMC5 (HAL研究所)
RP2C33 (任天堂) ※ゲームではなくディスクシステムに搭載。
SUNSOFT5B (サン電子) ※FME7のカスタムチップ。本来のFME7には音源機能は無い。また、「Sunsoft5B」という誤った表記が広まっているが、すべて大文字の「SUNSOFT 5B」が正しい。

チップチューンの制作方法 [編集]
チップチューンの制作方法は大きく分けて実機を用いた制作方法とサンプリング/エミュレーションによる制作方法とがある。

実機を用いた制作方法 [編集]
現在、実機を用いて音楽制作が可能なゲーム機・パーソナルコンピュータとしては以下のようなものがある。

アタリ2600
Synthcartカートリッジにより楽曲制作が可能
コモドール64
John Playerなどの音楽ソフトにより楽曲制作が可能
ファミリーコンピュータ(およびNES)
ファミリーコンピュータ上で動作する本格的な音楽制作ツールは存在しないが(簡易音楽ツールは存在する)、MIDIによる制御で音源を直接操作できるMIDINESカートリッジや、PC上で制作した演奏情報ファイルを読み込んで演奏する NSF PLAYBACK カートリッジ等が存在する。
ゲームボーイ
Nanoloop および Little Sound DJ カートリッジにより音楽制作が可能。また、MIDIにより複数台のゲームボーイを同期可能。それぞれ、制作した楽曲データはカートリッジ内に保存される。
SID STATION
スウェーデンのELEKTRON社から2000年に発表されたMIDIシンセサイザー。コモドール64から音源部分であるSIDチップ(MOS6581)を抽出して製造された物である為、実機同様の音色を有しつつ、より楽器として特化したインターフェイスで演奏する事ができる。また、同社のシンセサイザーMONOMACHINEにはSIDを再現したモデリング音源が搭載されているので、こちらを使用するのも有効な手段である。
MSX
MML書式のテキストを各種音源(PSG, FM, 波形メモリ)ドライバ向けにコンバートして作成する方法が主流。代表的な音源ドライバ・フォーマットとしてMGSDRV, MUSICA, 勤労シリーズ(MUSICA上位互換)など。
NEC PC-9801シリーズ
主にMS-DOS上でFM音源ドライバと周辺ツールおよびテキストエディタ(MMLで記述する)を用いて作成される。代表的なものとしてFMP, PMD, FSP, music.com(ログインソフト製), みゅあっぷ98などが挙げられる。それぞれ、機能は同等であってもドライバの実装方法などにより出音が異なることがある。
シャープ X68000シリーズ
FM音源およびADPCM音源ドライバと周辺ツールおよびテキストエディタ(MMLで記述するものが大多数)を用いて作成される。代表的なものとしてMDX(MXDRV), ZMUSICなどが挙げられる。それぞれ、機能は同等であってもドライバの実装方法などにより出音が異なることがある。
これら実機で制作した楽曲を公開する際は、実機からのオーディオ出力を録音してデジタル化し、mp3などの形式で公開する。

サンプリング/エミュレーションによる制作方法 [編集]
このタイプの方法は、さらにエミュレータによる制作方法、MODトラッカーによる制作方法、各種DAWソフトを使った方法に大別される。

エミュレータによる制作方法
PCの処理能力の向上で古い8bit機のハードウェア挙動をソフトウェアでエミュレート可能になったことを利用し、当時の音源チップによる音色をPC上のエミュレーションで得る方法である。代表的なものはMCKと各種NSFプレイヤーの組み合わせである。この方法では、ファミリーコンピュータ(またはNES)の音楽演奏用バイナリをMCKによって生成する。このバイナリをNSF形式という。このNSFデータを何らかの方法で実機に認識させれば、実機でも演奏が可能である。上記NSF PLAYBACK カートリッジはそれを実現するものである。PC上で演奏する場合は、各種NSFプレイヤー、もしくはNSF演奏機能を持つエミュレータに読み込ませて演奏する。この方式で制作された楽曲は、NSF形式のまま公開されることもあれば、ソフトウェア的にmp3などに変換されて公開されるケースもある。
PCの性能上、エミュレータ上での再生が不安定な場合でもWinamp, KBmediaplayerなどの音源エミュレート機能・専用ファイル再生機能を持つソフト上で安定かつクリアな音で再生させることも可能。
MODトラッカーによる制作方法
MODはサンプリングデータと演奏データをコンパクトにまとめたファイル形式であり、このMODデータを作成する一種のシーケンサーソフトをトラッカーと呼ぶ。トラッカーには様々な種類があり、機能も様々である。MOD形式の発展系として、S3M形式・XM形式・IT形式などがある。制作した楽曲は、これらのファイル形式のまま公開されるか、または mp3などの一般的なフォーマットに変換されて公開されることもある。
各種DAWソフトを使った方法
これはいわゆる通常のDTMと同様な方法での制作であり、使用するサンプルやソフトウェア音源に各種音源チップの音色を割り当てる。8bit系内蔵音源をエミュレートするソフトウェア音源の代表的なものとしては、コモドールなどに搭載されたSIDチップをエミュレートするQuadra SIDや、ファミリーコンピュータを模した各種波形を生成する Magical 8bit Plug などがある。

キシラン ノート ローズ マッハ リボ デリバラ 田舎国 ゴマナ ゲート フォトモ ザンス カッコー コッチ チリン シャー タジーン メーカ ディング モード アップ クロゼ レイオ モラトリ ダイキリ サイリウム レセプト クオリア ロトロン シーラーズ プルマン タリフレ ハッチ カップ ブローシャー オレキシン タバーン ノード ビッシング ヒットラー タッチ きくま 深呼吸 ゾディア はつう パラコート マスコ 和銅 しちの トラック ビヨウ

2009年03月24日

名鉄3560系電車

3560系とは、1960年から1988年まで名古屋鉄道に在籍した電車。

17m2扉車。釣り掛け駆動・AL車(間接自動制御車)である。

車体 [編集]
車体は当時製造されていた3700系と全く同一である。

内装 [編集]
2扉ロングシートであったが、後年転換クロスシートに改造されていた。照明カバーはなく3850系と同様の露出型で、3700系との唯一の相違点。

台車 [編集]
当初D-16で、晩年他のAL車同様D-18に交換された。

編成 [編集]
モ3561(Mc)-ク2836(Tc)

沿革 [編集]
モ3504が踏切事故で全焼したため、使用可能な部品を再利用して1960年に登場したのがモ3561である。

1形式1両のみで、モ3504時代から編成を組んでいた3550系の制御車ク2561と連結していたが、後年は3800系の制御車ク2836と連結していた。ク2561・ク2836とも張り上げ屋根ではない上にウインドシル・ヘッダーがあるため、この編成はAL車の中でもっとも外観が不揃いな編成となっていた(ただし車体長はモ3561とク2836に関しては同一の17mであった)。

運用上は他のAL車と全く共通であった。

その他 [編集]
3850系にもHL車と同等の車体に載せ換えた車両があったが、そちらは形式は変更されていない。
登場時は全金属車体にも関わらずダークグリーン塗色で、この点でも唯一の存在であった。

マルバタ クロスレ シュール しばざくら アスク たいざん ロスカ チーズ 白爵南瓜 モルガ ユーボ 冬の星座 ライオン いろはに ピーク ハスカ リッペ リーズ ダイヤ 雪の駅 マネタ ファース グラス おくやま スピンオフ スカッド レンジャー レジスタ バルキー 寄居かぶ メキシコ へきぎょく ダージジ パサク はま スティン つるむら 京野菜 コリンズ プール ギミッ デカル マンネリ ハイガイド トークッシ ロンティー サイトバラ メガ最適 ミズム どうちゃく

2009年03月08日

ボストン茶会事件

ボストン茶会事件(ボストンちゃかいじけん、Boston Tea Party)は、1773年12月16日に、アメリカ・マサチューセッツ州ボストンで、イギリス本国議会の植民地政策に憤慨した植民地人の組織が、アメリカ・インディアンに扮装して、港に停泊中のイギリス船に侵入、イギリス東インド会社の船荷の紅茶箱をボストン湾に投棄した事件。アメリカ独立革命の象徴的事件である。

北アメリカでも、18世紀にはイギリスとフランスが植民地争奪戦争を繰り返しており、1754年にはフレンチ・インディアン戦争が1756年の7年戦争に先立って勃発し、イギリスとフランス・インディアン連合軍は一進一退の攻防を繰り広げた。イギリス軍は北アメリカに2万の兵を派遣し、植民地の民兵とも協力して最終的に優勢となり、1763年のパリ条約でカナダとミシシッピ川以東のルイジアナを獲得した。しかし、この一連の戦争の戦費として、イギリスには1億3千万ポンドの負債が生じた。植民地にこの費用の一部を負担させるため、従来の「有益なる怠慢」といわれた緩やかな統治を転換し始めるとともに、新たにフランスから獲得した土地への植民地人の進出を禁止した。こうして制定されたのが1765年の印紙法であり、67年のタウンゼンド諸法であった。新聞・各種証書・パンフレット、果てはトランプに至るまで印紙を貼ることを義務付けた印紙法に対して、植民地側は「代表なくして課税なし」の原則を理由として反対し、翌年にこれを廃止させた。茶・ガラス・紙・鉛・塗料などに関税をかけたタウンゼンド諸法も本国製品の不買運動など広範囲の抵抗を招き、その中でボストン市民5人が駐留英軍に射殺されるボストン虐殺事件も起こり、急進派によって反英プロパガンダに利用されたことは世論の反発をいっそう強める結果となった。イギリスは譲歩を余儀なくされ、茶税だけを残しタウンゼンド諸法は撤廃した。

アメリカ独立の前哨戦
イギリスは1773年、新たに茶法を制定した。これは、茶税を逃れようとして植民地側がオランダ商人から茶を密輸入していたのを禁じ、大量の茶の在庫を抱えて財政的に行き詰まったイギリス東インド会社に植民地での茶の販売独占権を与えるものであった。東インド会社は当時の市価の半額の安値で茶を売り出そうとした。これに対し、(1)植民地の貿易全体の独占を狙う第1歩ではないか、(2)本国の課税権そのものが焦点であるにも拘らず、密輸品に比して茶税の課税後でも安価な東インド会社の茶が販売された場合、課税権を容認することになるのではないか、との懸念が生まれ、反対運動が展開された。ボストンの「自由の息子達」は、東インド会社の茶の販売人を襲撃するなど、過激な運動を展開した。
フェルト オレキ マッチ キャム プロポ オオセンナ パドルボ ダカー 国道18号線 ストー ヤン サンゴ ウェー ジグラート ないえ ショルダ イチゴ マリネ シュラフ デュポン ジェイペグ 古時計 スペクト ビージ レベル ゲッケイ カーン マエスト ツルウ オギジ レアメ スキーマ ネオジム ラズライ トリトマ ビレイ きあか スフィン レザー ジャムウ ファイ ファクト オキナグ ハイクラ ケフェウ ペクシ スノー チェンジ スケイ ダカール

1773年12月、茶を積んだ東インド会社の貿易船がアメリカの四つの港に到着するが、陸揚げされなかったり、倉庫に実質的に封印されるなど、実際には販売されなかった。この港のうちボストンでは東インド会社の貿易船に、荷揚げせずにボストンからイギリスに退去するよう求めた。現地のイギリス総督はこれを拒否し、貿易船は荷揚げの機会を待つため、船長はボストン港での停泊を継続する。こうした事態の中、1773年12月16日の夜に事件は起こった。毛布や顔ペイント等でモホーク・インディアン風の簡易な扮装をした3グループ、50人ほどの住人がボストン港に停泊していた東インド会社の船を襲撃し、「ボストン港をティー・ポットにする」と叫びながら、342箱の茶箱を海に投げ捨てたのである。騒ぎを聞いて駆けつけた多くのボストン市民は、加勢も制止もせずこの様子を見つめていた。これが「ボストン茶会事件」と呼ばれる事件で、行動を起こしたのはボストンの急進派市民(自由の息子達)であり、組織化の中心となったのはサミュエル・アダムズである。この時投棄された茶の損害額は1,000,000ドルに上るといわれ、この事件には植民地人の間においても賛否がわかれ、東インド会社の賠償請求に対してベンジャミン・フランクリンは私財をもって”茶の代金(茶税分を除く)”の賠償を試みようとしている(結局、賠償はされなかった)。

イギリス政府はこれに対して、翌年、ボストン港の閉鎖・マサチューセッツの自治の剥奪・兵士宿営のための民家の徴発などの強硬な「抑圧的諸法」を出してボストンを軍政下に置いた。植民地側は同年9月、フィラデルフィアに12の植民地代表を集めて第1回大陸会議を開き、本国議会の植民地に対する立法権を否認することと、イギリスとの経済的断交を決議した。このような緊迫した情勢の中で、翌年4月、ボストン郊外のレキシントンとコンコードでイギリス軍と植民地民兵が衝突し、ついに独立戦争が勃発したのである。

また、茶法に反対する一連の運動によって、植民地人の間にはそれまで愛飲していた紅茶をボイコットする者が多くなり、代わりにコーヒーが普及した。現在でもイギリス人に紅茶党が多い一方、アメリカ人にはコーヒー党が多いが、この不買運動に由来するものである。

植民地人はイギリスからの移民が大多数を占め、元来親英的であった。アメリカ独立戦争が勃発した時点でも独立を支持する愛国派は自営農民・中小工業者らを中心として植民地人口の3分の1ほどであり、忠誠派が3分の1、残りは中立派であった。

「Tea Party」の訳について
The Boston Tea Partyは、一般に「ボストン茶会事件」と訳されるが、この場合のPartyは『徒党(一揆)』や『集団』を意味するため、「茶会」の訳は不適切であるとする見方があり、換わりにボストンティーパーティー事件、ボストン茶一揆あるいはボストン茶党事件と呼称されることも少なくない。しかし一方では、「会」という漢字は必ずしも会合だけを意味せず、団体を指して「商会」などとも用いる。また茶党という集団が存在したわけではないし、事件を皮肉めかして(「海水で大量の茶を淹れた」という風刺の意味で)呼んだ名称であるとの解釈もできるので、必ずしも誤訳と言い切れるわけではない。

2009年02月20日

ガルマン・ガミラス帝国

ガルマン・ガミラス帝国(-ていこく)は『宇宙戦艦ヤマトIII』に登場する架空の恒星間国家。

家元首はデスラー総統。本星はガミラス星と同様に二重惑星(双子星)であり、もう一方の惑星をスターシャとデスラーが命名している。新帝都(首都)はデスラーパレス。

政治体制
ガミラス帝国と同様にデスラーを総統として仰ぐ独裁政治体制である。
しょうや ムンバ イルラ 永遠の約束 ブースター サルフ 享禄 きんちゃく パンダル マネタリ アップ アート フラゲ ニュース 星かげ 月の宮 スタジ 野の花 リミット トラック 日本海 ケーソ ブラワサ じょうるり レビュー 未来世紀 ビッドレ オーバ ストーンカメ 女峰 ブッファ シャリン セイシェル ファイ シング スチーム ティグ バトル ストップ レーダー オーパーツ ブイエ デデリ ギブアップ ピラー 時計台 タネソウ サーチカヤ タイミ レジュ

ガルマン民族
銀河系中心部核恒星系に勢力を誇り外宇宙に進出するが、次第にその勢力も衰え、西暦2200年代にはボラー連邦の支配下に組み込まれていた。

ガミラス人は外宇宙に進出したガルマン民族の一支族の末裔である。[1]

歴史
建国
西暦2202年、暗黒星団帝国との戦いでガミラス星とイスカンダルを失った、デスラー総統はガミラス帝国の再建を目指し第2のガミラス星となる惑星を探し流浪の旅を続けていた。銀河系核恒星系でボラー連邦の支配下にあったガルマン民族に出会い解放、独立戦争をガミラス残存勢力で展開する。銀河系核恒星系のガルマン民族を統一し、ガルマン・ガミラス帝国を建国。

銀河大戦
23世紀初頭、銀河系各方面に侵略を進め、ボラー連邦と銀河系を二分する星間連合帝国に成長。建国紀元1周年を迎える。

シャルバート信者の蜂起
デスラー個人崇拝を基本とする独裁体制側と、マザー=シャルバートを奉じる一部のガルマン人との間には深刻な対立があり、弾圧されていたシャルバート信者が1周年記念祭に乗じて蜂起し新帝都デスラーパレスは戦場と化した。本星の防空体制もシャルバート信者の自爆テロにより機能不全になり、ボラー連邦のワープミサイルによる攻撃で危機状況に陥るが、ヤマトにより救われる。
ボラー連邦ベムラーゼ首相を太陽系での戦闘で戦死させた後、ボラー連邦に対して一大攻勢をかける。

赤色銀河の交差
西暦2203年、銀河大戦も終盤を迎えていた頃、異次元宇宙から現れた赤色銀河と銀河系の交差により、要部であった核恒星系に甚大な被害を受けたが、デスラー総統と一部の艦隊は、辺境視察に出ていて無事だった。

ヤマトの最後の敵ディンギル帝国ルガール大神官大総統をデスラー砲で殲滅する。

主要人物
デスラー 総統
タラン 総統副官
キーリング 参謀総長
ガイデル 東部方面軍司令長官
ダゴン 東部方面軍 第18機甲艦隊司令官
ゲーレン 東部方面軍第17空母艦隊 二連三段空母艦長
フラーケン 東部方面軍 次元潜航艇艦隊司令
ヒステンバーガー 西部方面軍司令長官
グスタフ 北部方面艦隊司令官     
フラウスキー 技術少佐
ヘルマイヤー 少佐・地質学者
ハイゲル ガルマン・ガミラス帝国の高官。シャルバート信者、蜂起計画の首謀者

所有艦船
新型デスラー艦
デスラー砲艦
二連三段空母
戦闘空母
白色円盤型戦艦
大型戦闘艦
中型戦闘艦
グスタフ艦
惑星破壊ミサイル艦
駆逐艦
駆逐型デストロイヤー艦
工作船(フラウスキー少佐の艦)
調査船(ヘルマイヤー少佐の艦)

宇宙要塞
超大型機動要塞

航空機・宇宙艇
次元潜航艇
双胴戦闘機
重爆機
雷撃機
格闘宇宙戦闘機ゼーアドラーIII
反射板搭載機

兵器・関連技術
デスラー砲
ハイパーデスラー砲
惑星破壊プロトンミサイル
高圧直撃砲
新反射衛星砲
瞬間物質移送器

2009年02月04日

椎名氏(しいなし)は越中新川郡の一族

椎名氏(しいなし)は越中新川郡の一族。室町時代に守護代を務めた。

椎名氏の出自は桓武平氏千葉氏の一族とされている。千葉常胤の実弟にあたる椎名胤光が始祖。鎌倉時代より越中守護北条朝時の被官として入国し関係を深めていき、南北朝時代に椎名孫八頼胤が松倉城に入城したとされる。後に越中に守護として赴任した畠山氏に仕え、新川郡守護代に任命された。

畠山氏が応仁の乱で衰退し、婦負・射水両郡の守護代であった神保慶宗が畠山氏からの独立を目指すと椎名慶胤はこれに同調した。しかし永正17年(1520年)長尾・畠山連合軍の征伐を受けて敗北、椎名氏は降伏し、椎名氏の新川郡守護代職は長尾為景に奪われてしまう。しかし長尾為景は椎名長常を又守護代としてそのまま起用したため、椎名氏は長尾氏に従属する形になりながらも、新川郡の支配権を維持した。

天文年間になると神保長職が郡境の神通川を越えて新川郡に進出、富山城を築いて椎名領の侵略をはじめた。これを機に越中国は国人をも巻き込んだ越中大乱と呼ばれる大抗争が勃発したが、椎名長常はこれに敗北し、不利な条件で和議を結ばされた。

永禄年間に至り椎名康胤が家督を継ぎ、再び神保長職との抗争が繰り返されたが、椎名氏は次第に神保氏に圧迫され、上杉謙信に援軍を要請した。このため神保長職は降伏し、椎名康胤は危機を脱した。その後は謙信と同盟関係にあり、康胤は長尾景直を婿養子に迎えている。

しかし永禄11年(1568年)、武田信玄の調略を受けた椎名康胤は突如上杉家を離反し、一向一揆と結んで武田方に寝返った。これに激怒した謙信は椎名康胤を攻め、康胤は松倉城を追われて一向一揆に合流し、各地を転戦した。元亀4年(1573年)正月、富山城落城の際に謙信に赦免を願い出るが許されず、天正4年(1576年)蓮沼城で上杉軍に攻められて自刃し、越中守護代椎名氏は滅んだ。

神通川(じんづうがわ)は、岐阜県および富山県を流れる一級河川で、神通川水系の本流。岐阜県内では宮川(みやがわ)と称する。

岐阜県高山市の川上岳(かおれだけ)に源を発し、飛騨高地の中を北に流れる。富山県境付近の神通峡あたりで高原川を合わせ、富山市笹津付近で富山平野に出る。平野部では直線的に北流し、富山湾に注ぐ。

上・中流部は急流で、支流の高原川の水源地域が多雨地帯であるため、昔から水害の生じやすい川として知られている。

歴史
『万葉集』に「売比川(婦負川)」「鵜坂川」の名があり、神通川の古名と見られている(鵜坂川は井田川のこととする説もある)。神通川という名前は神通力に由来するという説があるが、確実なものではない。
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かつての神通川は、富山の街の中を東に大きく蛇行していた。戦国時代には神通川のすぐ脇に富山城が築城され天然の堀として利用された。しかし蛇行部分でたびたび水害が発生していたため、明治時代に、蛇行部分を短絡する分流路を作り、一定量を超える洪水は、新たに造った分流路(馳越線)に流れるようにした。しかし、洪水の度に、馳越線の方が本流のようになり、本来の本流には水が流れないようになってきた。そこで、馳越線を改めて本流とした。旧来の本流は松川と名を改め、水が流れなくなった部分には1930年から建設が始まった富岩運河から出た大量の土砂で埋立て川幅を狭め、埋立地に県庁、市役所などの施設が建設された。

文化作品
宮本輝の小説螢川の舞台となっている。1987年に映画化

公害
高度成長期、主に大正時代から昭和40年代にかけて神通川流域でイタイイタイ病が問題化した。これは、岐阜県の神岡鉱山(三井金属鉱業株式会社管理)から出された廃液中のカドミウムを原因とする公害病であった。 「ビタミンD不足説」と「カドミウム原因説」に意見が分かれたが、婦中町(現富山市)にある萩野病院(当時)の院長である萩野昇が神通川流域のカドミウムが原因だと突き止めた。

主な支流
大八賀川
川上川
小八賀川
高原川 - 跡津川
熊野川
土川
井田川
いたち川 - 松川

2009年01月21日

アルペンスキーはヨーロッパアルプス地方

アルペンスキーはヨーロッパアルプス地方で発展したスキー技術である。アルペン(Alpine)とは、「アルプスの」という意である。ビンディングの違いからノルディックスキーとは別々に発達したスタイルである。雪の斜面をターンを繰り返し、ときには直滑降をおり混ぜつつ滑べる。斜面は斜度0度から40度以上までのさまざまな斜度で構成されるが、大半の愛好者は斜度10度ぐらいから20度ぐらいまでを好む。滑走速度はレジャー目的では40km/hから60km/h程度までだが、高速系競技では100km/hを越える。大半の愛好者はスキー場で滑走するが、自然の整備されない山を登って滑り降りる山岳スキーの愛好者も多い。

スキー板は、芯材、ソール(滑走面)、エッジ、トップシート、サイドウォールなどから構成される。

芯材はスキー板のもつべき剛性や弾性を実現する中心的な素材である。伝統的には木材が用いられてきたが、近年は発泡樹脂も用いられており、また、ケブラー、ガラス繊維、炭素繊維、ボロン繊維などの化学繊維やチタン合金やマグネシウム合金のような金属により強化することで天然素材そのままでは実現できない力学的特性を実現している。

ソールは、スキー板が雪面と接する部分である。現在のスキー板では高密度ポリエチレンが用いられている。特に、上級モデルや競技モデルのスキー板のソールは焼結ポリエチレンを用いることで、滑走時に塗布するワックスがよりよく吸収されるようになっており、雪面に対する摩擦系数の低下による滑走性の向上を図っている。また、競技モデルを中心として、グラファイト粉末を混入して静電気の発生の低減を図ったものも用いられている。

エッジは、アルペンスキーにおけるターンの実現に欠かせない部品である。硬い金属、一般には鋼を素材とする細長い形状のもので、ソールに沿ってスキー板の左右に、板の先端(トップ)から後端(テール)まで配置される。現在はトップからテールまで、ひと続きとなったエッジがほとんどだが、板の柔軟性を優先するために、数cmごとに切れ目の入ったクラックドエッジも一部で用いられている。エッジは90度、ないしそれよりやや鋭角に研がれているのが一般的であり、ターン時に雪面、ときにはアイスバーンを削ってターン中の足場を確保する。

トップシートとサイドウォールは、スキー板の上面や側面を保護するための部材である。近年は、その形状や材質を工夫することで、スキー板の性能向上につなげている場合が多い。また、スキー板の構造は、もともとはソール、芯材、トップシートを重ねて貼りあわせて側面にサイドウォールを接着したサンドイッチ構造のものが多かったが、トップシートとサイドウォールを一体化したボックス構造、あるいはキャップ構造を採用する板も近年は多い。そのほか、トップシートの上に振動吸収を目的とした小さな部材を取り付けた板も存在する。

形状
アルペンスキーのスキー板は、ターン技術を用いた滑走に適した形状をしている。スキー板の先端と後端が太く、ビンディングを介してブーツと繋がる中央部分が細くくびれた形状となっている。滑走時に、スキーヤーがスキー板を傾けて板の上から圧をかけることで、スキー板はたわみ、エッジが雪面に食い込んで足場をつくることで、スキー板全体は雪面に対して弧を描いて接することとなり、その結果、スキーヤーはターンすることができる。

また、スキー板は単体でソールを下にして水平面に置くと、先端近くと後端近くで水平面に接し、中央部分が浮いた弓なり状となっている。これは、人がスキー板を履いて平らな雪面に立つことでソール全体が雪面に接するようになっていて、安定した直滑降を可能にしている。なお、スキー板の先端部分は上に持ち上がっていて、滑走時に雪面に刺さりにくい形状になっている。後端部分はほとんど平らとなっている板が多いが、フリーライド用途のものではツインチップと呼んで後端も先端と同様に持ち上がった形状とすることで逆方向への滑走にも対応したものがある。

アルペンスキーのスキー板の長さは、1980年代までは2m前後のものが一般的であった。レジャー目的の場合、その長さはスキーブーツではなく一般的な靴などの履き物を履き、または素足で直立し、腕を真上に上げ、手首を「へ」の字に曲げ、スキーの先端が曲げた手首の下に納まるのが一般的とされ、素足の場合は靴底の厚さに相当するものを加えた長さと考えて良く、長さの許容差は1-1.5cm以内程度が身長に合った適切なものとされた。 1990年代のカービングスキーの登場とその一般化という技術革新のもと、扱いやすい 150cm から 180cm 程度が一般的となり、2mを越える長さの板は高速系競技と一部のファットスキーでのみ見掛けるという状況になった。また、100cm から 130cm 程度のショートスキーや、70cm 程度のファンスキーまたはスキーボードと呼ばれるものもあり、これらは滑走特性の違いから独自のジャンルとして位置付けられている。

ビンディング
ブーツをスキー板に固定させるための器具。爪先を固定するトーピースと、踵を固定するヒールピースからなる。ビンディングとスキー板は、直接、あるいはプレートを介してトーピースとヒールピースがそれぞれ別に固定されるものが多いが、トーピースとヒールピースが別の部品を介して一体のものとなっていて、その部品がスキー板と固定される場合もある。

1970年代以降のアルペンスキーでは、滑走中の転倒などによる怪我を防ぐためブーツから一定以上の力が加わるとブーツを外すリリース機構がついているセイフティビンディングが一般に用いられるようになった。ただし、おおむね1m未満のショートスキー板の場合、板の重量が軽いことや転倒時の脚への負荷の違いを考慮して、セイフティビンディングでない、簡易なものが用いられている。また、山岳スキーでは登行時に踵が上がることが求められるため、リリース機構がついていない、あるいはトーピースのみにリリース機構がついたものが長年用いられてきたが、2000年ごろから、ゲレンデスキーにおけるカービングスキーの流行やそれに伴う滑走速度の高速化を山岳スキーにおいても実現したい人々の要望に応じるよう、トーピースとヒールピースの両方にリリース機構を有する、ゲレンデスキー用のセイフティビンディングと安全性において匹敵するような山岳スキー用ビンディングも普及するようになった。セイフティビンディングでは、解放時にスキー板が流れるのを防止するためのスキーブレーキがヒールピースに備えられているが、ショートスキー用の簡易ビンディングでは存在せず、また山岳スキー用の場合はまちまちである。スキーブレーキを備えていない場合、スキーヤーは流れ止めと呼ばれる長い紐で身体とビンディングを結びつけて、スキー板が流れ続けることがないようにする必要がある。

セイフティビンディングは、現在の主流はステップイン式とターンテーブル式に二分される。

どちらもトーピースは同様の機構となっていて、ブーツの爪先のコバを前上左右から固定する。固定部材は上下軸によって左右に動くのだが、左右の力に対してはばねの弾性で一定の力までは耐えるが、それを越えると解放する。上方向や斜め方向の力については、とくに考慮していないものと、解放するものとがある。

ヒールピースは、ブーツの踵のコバを上から抑えつけて固定する。ステップイン式は、ブーツを固定している部材が左右軸によって前方向に倒れることでブーツの踵のコバを上から固定し、またヒールピースの位置によって後方からも固定する。固定された部材はばねの力で引っ張られており、指定された強度を越える力がかかることで解放する。ターンテーブル式は、ヒールピース全体が上下軸で動くターンテーブルの上に乗っていて、左右に少し動くことが特徴となっている。ブーツを固定する部材は左右軸によって動くが、ステップイン式とは異なり、部材を持ち上げた状態で上後方から圧縮されたばねの伸長力で固定する。

両方式について、ターンテーブル式のほうが正確に解放するとも言われるが、ステップイン式のほうが扱いやすさに優るため、市場のシェアはステップイン式のほうが大きいが、上級者を中心としてターンテーブル式にも根強い支持があり、両方式とも用いられている(現在ターンテーブル式は準競技用モデルが残るのみ)

なお、セイフティビンディングについては安全性やブーツとの互換性のため、ブーツのコバ高や、個々のビンディングで設定する解放強度に対応する解放力や解放モーメント、スキーヤーにとって適切な解放強度の算出方法などが規格化されており、先行して規格化を行ったDINになぞらえてDIN規格と呼ぶことが多いが、現在はISOで規格化されているものを各メーカーとも用いている。
ノーメーク ジェルカン かじぼう スリナ ひこぼ ビオトープ マイクナキ フルーツ カラー ロッキー スイン ナナカマ けいは でんと ノクラス あみだ ジャン ストーン いかりがせ ハーモニー オーリ シングル キッザニ ガポド キック ヤード ダン アップテロ トリガー タフタ ムチン キューテ タイゲーム ハーフアド ききょう リズム でんでん イーグル ディルド オーラオン スケート ラッシ フルート 時の舟 セラック キープ モノクロ デリック フリーラ ブラック

プレート
スキー板とビンディングの間に取り付けられる板。材質はステンレスやアルミニウム合金などの金属、プラスチック、あるいは木材であり、長さはビンディングの固定場所より前後に少し長い程度のものが多く、幅はスキー板と揃うものが一般的である。厚さは、目的によりさまざまである。

スキーにおけるプレートの利用は比較的新しく、1990年代からである。高速系競技での振動吸収を目的とした金属製プレートが最初となる。このプレートはスキー板とは前後の2ヵ所で固定され、その上にビンディングが取り付けられた。主な目的は、振動吸収にあった。高速系競技では雪面の細かい凸凹とスキー板がぶつかったときの細かい振動がスキーヤーに返ってくることがあり、それはスキーヤーの操作ミスを引き起こして事故や速度低下の要因となる。そのような滑走に有害な振動を低減させる工夫のひとつとしてプレートが考案され、利用された。この時点でのプレートはもっぱら本格的な競技スキーヤーのみのためのものであった。

しかし、ほどなくして、プレートの高さがカービングターン(後述)にとって有効であることが見出された。その有効性のひとつは雪面とスキーブーツの接触抑止である。カービングターンでは脚をターンの内側に大きく傾けることになるが、このときプレートをつけていないスキー板を利用していると、ブーツの側面が雪面とぶつかることになる。これはスキーヤーにとって減速要素となるとともに、スキー操作を誤らせる要因ともなるが、プレートを利用するとスキーブーツが雪面から遠くなるために、雪面との接触を防ぐことができ、より大きく脚をターン内側に傾けることができるようになる。もうひとつの有効性は、てこの原理により雪面に板を食い込ませやすくなることである。硬いアイスバーンを含む雪面にスキー板を食い込ませようとした場合、力点となるスキーヤーの足裏がエッジから遠くなるほど、大きい力をかけることができるようになる。こうした知見とカービングスキーの一般化に伴って、プレートの利用も一般スキーヤーにまで広がることになった。一方、プレートを高くし過ぎることは、転倒や操作ミスのさいに本来とは異なる場所を支点としたてこでの応力がスキーヤーの脚にかかることにもつながり、実際に事故も起きている。そのため、現在ではアルペン競技ではプレートの高さについて、雪面からの高さで制限を設けて規制している。この規制は当初はスキーブーツの裏にプラスチック板を貼ることで高さを稼ぐ、という抜け穴の発明を促したが、現在ではスキー板にブーツを取り付けた状態でのインソールまでの高さも規制対象とすることで抜け穴は塞がれている。

技術系競技用のプレートや高速滑走用以外の一般スキーヤー向けのプレートは、振動吸収に求める内容が異なり、あるいは重視しないため、重い金属製のプレートではなく、軽いプラスチック製、あるいは複数の素材を複合したプレートが用いられる。また、1990年代後半に流行したエクストリーム・カービングのような、カービングターンのみを目的とした滑走では、高さを稼ぐことを主眼として木製のプレートが使われることもあった。これは、加工や成型が容易であり小規模な企業や個人でも製作が可能であったからである。

プレートとスキー板の固定方法は、多様である。前後2ヵ所で固定する場合もあれば、中央の1ヵ所のみ、あるいは前後のいずれか一ヶ所のみを固定する場合もある。さらに、2ヵ所の固定の場合でも、片方は完全な固定ではなくスキー板のたわみにあわせて可動するものもある。こうした取り付け方法の工夫は、スキー板のたわみを阻害しないためにさまざまな工夫が行われている。

プレートの利用が一般化するにつれて、スキー板の各メーカーも設計段階からプレートの利用を前提とした設計をし、プレートを取り付けた状態でスキー板を販売するようになった。これには、プレートが完全にスキー板と一体となっている場合も含む。こうした一体販売は、技術的な長所の追求とともに、スキー板メーカー以外のサードパーティのプレートを買わせない、という販売政策の面も伴う。実際、一体型プレートにあらかじめビンディング取付用のビス穴を備えておき、そのビス穴は自社、あるいは提携先のビンディングのみ対応する、というメーカーも多い。ときとして、自社製品であっても古いモデルとは互換でないビス穴を用いることでスキー板よりも製品寿命が長いビンディングの再利用を拒む場合すらある。

なお、プレートはモーグル競技や山岳スキーでは用いられない。前者は、てこの原理の活用の裏返しとしてターンに必要な脚の動作が大きくなるため、早い切り返しを多用した細かいターンが要求されるモーグル競技に不向きであるため、後者は、単純にプレートの重量がスキー板を脱いで持ち歩くことが少なくない山岳スキーには不向きであるためである。